タイムマネジメントの普及に向けて:「仕事の仕組み」とその開発エピソード2

この内容は、弊社会長の行本明説(日本タイムマネジメント普及協会理事長) によるタイムマネジメントの歴史についての解説です。行本の一人称として書かれております。

3.闘争(1990 年~)

当初UCLAの彼と私を含めて 5人いた講師陣(彼と私だけが 30台で残りは 50過ぎのコンサルタントと大学教授)も数ヶ月後には私だけとなってしまいました。みなさん 一度研修の講師をやると二度と登壇なされなかったことを記憶しています。
先輩たちがいなくなり講師マニュアルの不明点は直接英国に聞かなくてはならない状態になりました。英語が不得手な私には苦痛でしたが、faxと電話でのやり取りは私の英語力を随分と鍛えてくれました。
講師を受注してから 1 年後に転機が来ました。セミナーの権利を引き継ぐことにしま した。
英国側もそれを希望していたので、極東での普及責任者となりました。
それ以降は、毎週のように英国とfaxと電話でのバトルがはじまりました。
当時はまだ国際電話料金が高かったので毎月恐ろしいほどの請求がKDDIから届きました。ヨーロッパのセミナーの売上げの二十分の一にも満たない理由を説明し、日本のビジネス現場にあうように英国のノウハウを変える作業を継続的に行いま した。
それが結果として「仕事のしくみ」の発見につながりました。
英国のセミナーのままでヨーロッパと同じくらい受注できていたら、営業の為にセミナーのロジック(理論化)を構築することはなかったと思います。
翌年に出た英国のパンフレットには私と先生とのバトルの後がはっきりと残っていました。
電話では納得していないように感じていましたが、随分と私の考え方をパンフレットの中に入れてくれていました。
具体的には「生産性の方程式:生産性=質×量/投下時間」や「小さな歯車と大きな歯車:個 人がちょっと変わると組織は大きく変わる」などです。

4.逆層(1993 年~)

湾岸戦争が勃発したころ、シャープさんから米国とヨーロッパで展開しているPDA (パーソナルデジタルアシスタンス:ザウルスの先代機種)の販促の為に「A-Time(エ ータイム)」を使いたいという申し出があり、英国の先生を紹介しました。
商品パッケー ジの中にタイムマネジメントの小テキストを同梱するプロジェクトでした。
米国、ヨーロッパでかなり売れていた商品なので先生にとっても転機になるような企画でした。
しかし、残念ながら「A-Time(エータイム)」の小テキストが同梱されることはありませんでした。
先生が送ってきた最初の章の原稿は今でも持っていますが、続きの原稿はシャープさんに納品されることなく先生の会社は倒産、先生も行方不明となってしまいました。タイムシステムとは別のオリジナルのシステム手帳を製造販売し失敗したのがきっかけでした。
当時、日本でもこの新しいシステム手帳の紹介セミナーを京王プラザホテルで先生を招いて実施したことがあります。
100 名以上の方が集まる盛大なセミナーでした。
当時シャープさん以外にも、某損害保険会社さん(営業研修)とか某予備校さん(社 会人研修)とか某通信会社さん(管理者・経営者研修)とかのプロジェクトが同時に走 っていたので、地層のしゅう曲のようなぐちゃぐちゃの状態になってしまいました。
そこでタイムマネジメントを辞めてタイムマネジメントを続けるためにやっていた不動産コンサルティングに集中する方法もありましたが、お金になっていた不動産コンサルを辞め、お金になっていないタイムマネジメントの道をどういうわけか選択しました。
その時はどうしてそのような意思決定をしたのか覚えていませんが、今ならはっきりいえます。
私は金儲けより研究が好きなのだということです。
もっといえば、お金に無頓着で好奇心だけで生きているような社会不適合者ともいえます。


タイムマネジメントの普及に向けて:「仕事の仕組み」とその開発エピソード1

タイムマネジメントの普及に向けて:「仕事の仕組み」とその開発エピソード3

タイムマネジメントの普及に向けて:「仕事の仕組み」とその開発エピソード4